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時間軸の輪と時間の始まりについて [コラム]

最近、時間の意味について考える事が多くなった。まだうまくまとまらないのだが、時間の概念そのものや人の意識の感覚というのは何か密接な関係がある様な気がしてきている。

こんなことを書くとまたトンデモ話っぽくなってしまうのだが、実は科学の世界でも、時間という概念は非常に大きな謎とされているのだ。科学雑誌Newtonで「時間とはなにか?タイムトラベルは可能か?」という興味深い記事が特集されていたので読んだ所、ますます訳のわからない事態になってしまった。というか、最新の物理学の世界、宇宙や物質、時間や空間の誕生を究明するという行為は、そもそも証明が出来ない想像でしか理論を詰められないので、かなり乱暴な言い方をすればトンデモ理論と大差が無いのだ。

どういう風に(一見)トンデモかというと、宇宙の誕生はタイムトラベルによって生じた時間の輪の中から宇宙が誕生したというのだ。「まっさかー」と思うなかれ、こんな話が真剣に議論されているのだ。

これまで宇宙というのは「無」から生まれたゆらぎによってある時点で急激に時空(?)が膨らむ現象から、続けざまに起こった超高温高圧の大爆発によって時間や空間、物質が生まれたという。つまりインフレーション理論からつながるビックバンへによって、宇宙が生まれたという説が一般的なんだけど。

でもこれだとそもそもの最初の「無」から「有」に移った状態を説明できない訳。
だって0はいくら掛け算をしても0だし、0だけの世界には足そうとするべき数字すらない訳だからね。そもそもこの「無の揺らぎ」とかいうのがもう訳わからん訳。「無」なんだからゆらぎもへったくれも無いだろうって話。ところが最近になって出てきたのがタイムトラベル理論。

つまり時間の「始まり」なんてものはそもそも無くって、最初は時間軸が同じ所をグルグルとただ回り続けていたんじゃないかという事らしい、とはいってもこの繰り返し現象って、5×10の-44乗秒という、とてつもない短い時間の単位なんだけど。

でも、これだと最初にあったとされる「無」という状態を考えなくてすむ訳で、ここからある時、ゆらぎが発生してインフレーションが起こってビックバンとなったと説明すると、上手く宇宙の誕生を説明できるらしい。しかもこの膨張時に、時空が枝分かれして、それこそ大友克洋先生の「アキラ」みたいに別の宇宙が幾つも出来ているんじゃないか?とまで考えられちゃうらしい。

凄いよね、俺ら素人からするとトンデモ理論とどう違うんじゃいって感じ。

しかも恐ろしい事に俺がぶっ倒れた時に考えた事に何となく似ているんだこれが。
実は意識がおかしくなった直後というのは、時間の概念が全くわからない状態で、物事の前後関係や時間の流れが頭の中で全く整理が付かないのね。これってもうとにかく体験してみなきゃわからない嫌な感覚なんだけど、ただ頭の中にバラバラでありながら核心に近い様なイメージばかりが大量に流れ込むというか、発見の連続の様な状態になっていて、何を発見したかは今じゃほとんど覚えていないんだけど、感動、発見、恐怖、性的快感、理解的超快感、絶叫、絶頂、静寂、黄昏、そして再び、感動、発見… という感情のループを描きつつ、ほんのちょっとづつ違った解釈や相違点があるような感情や思考のループ状態が延々つづいたのさ。
もう、ほんとタスケテー!って感じ。そしてこんな事が永遠に続んだと思い込んで、何とかしてこのループを抜け出そうとあがくけど、どうしても抜けられないみたいな状態になっていたんだけど、これと宇宙誕生の時間のループって何となく似てるなあとか俺は考えちゃう訳。

でも俺のようなトンデモ理論が、科学と決定的に異なるのは、科学というのは現状で観測される全ての現象を繋ぎ合わせて、全ての説明により破綻の少ない世界を作り上げようとする作業であるという点。俺みたいに体験によって導かれる方法論じゃなく、あくまで観測と証明によって、誰もがちょっと学びさえすれば納得できる答えを導くという点にスバラシさがある訳。

たとえば川原に転がる丸い石がどうしてそこにあるのかを考えてみると、川の中をたまに石が流れる事が観察できる訳。そしてこの流れる石と同様に、河の流れによって上流から流れてきた事が予想できる。そして元々は尖った部分があった石が川の流れで川を転がる際に、角が削られ小さくなって今の形に落ち着いたという事が予想できるわけだ。とても当たり前だけどこれって科学的な思考の基本な訳で、人間が周囲の条件や様々な現象からもっとも明解な答えを過去を予想して辿り着いた結論な訳で、問題にしている石そのものに、どこから来たのかと尋ねている訳じゃないのだ。

ところがその石そのものがいつどういった道筋で河を転がって来たかは、正確にはわからない。だってその石が転がって来た道筋を見ていた訳じゃないんだから。でも川の上流に石と同じ模様の岩があって、その岩がガケ崩れでバラバラに砕けていたりすると、人間自身が「ここの岩が崩れて、川を流され削られてあの川原の石になったのだな」と誰もが納得の行くような予想を組み立てて一応の結論を導いている訳だ。

この石の話、実は小学校低学年の頃、理科の時間に教育テレビでアヒルの子供が僕に教えてくれた科学的な思考方法、つまり帰納法の基本ね。

宇宙の始まりを考えるのも基本的にはこれと同じ、そして今のタイムトラベルによって始まったとされる宇宙の始まりの像に至るまでは、実に様々な紆余曲折があったのだけど、めんどくさくなってきたので続きはまた次回に…


やらないかも(笑)


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