ゲームは一日一時間 [コラム]
と、昔から高橋名人が言っていたが、そんなの守った事なんで一度もなかった。
思えば、時間が有り余っていた頃は、それこそ寝る時間以外は全てゲーム!でもOKな位好きで好きで、狂った様にやった時期があった。よくもまあ集中力が続くもんだと我ながら飽きれたりした。
でもイザ自分が作る側の立場になると、必然的に遊ぶ時間が無い事や、作り手の苦労や意図までが読めてしまってきて、心から長時間ゲームを楽しめなくなってきたのだ。
また、ハードの表現力や技術力が進歩しても、そこにエポックメイキング的なアイデアと面白さの提示と、ユーザーに対する細やかな配慮が無いと、結局購入する事もコインを投入する事も無くなってきた。ゲームに対する見方が厳しくなってきたのだ。
そしてよほど気になるものでも無い限り、新しいゲームを購入する事は無くなり、たまに突発的に遊んでも、それほど深くハマらなくなっていた自分に気付いてしまったのだ。
昔は本当に好きで狂った様に遊んでいたゲームが、いつの間にか単なる「暇つぶし」や「現実逃避」といった、ごく普通の人のゲームに対する感覚に近いものに変貌していた。
最近では新しく買ったゲームも、一度クリアしてしまえば全く手をつけなくなったし、全ての選択肢を試したいという欲望も消え果てて久しい。そしてゲームクリアを目指す熱意すら、最近ではほとんど無くなった様に思う。
もっと上手くなりたい。
次のラウンドを知りたい。
この先どんな仕掛けが待っているんだろう。
どんな風にドキドキさせてくれるんだろう。
中学生の頃、友達の狭い部屋に大勢で押しかけ、かわりばんこで必死にクリアを目指した。
高校生の頃、友達に連れられて行ったゲームセンターで、体感マシンに度肝を抜かれた。
でもゲームであんな気持ちを味わう事は、おそらくもうない。
そう、たぶんあの頃のゲームには素敵な未来がたくさん詰まっていたのだ。
新作事に目を見張るようなアイデアが詰まっていたのだ。
新作事に度肝を抜くような技術革新があったのだ。
夜中に空腹で冷蔵庫を物色するように、今でも昔のお気に入りのゲームを引っ張り出すのは、たぶん単なる郷愁でしかないのだろう。
ゲームの世界では今も新しい技術やアイデアはどんどん出ている。
でも、それはあの頃の無邪気なゲーム少年に届く様な事は、たぶんもう無いのかもしれない。
ゲームは一日一時間。
誰に言われないでも、それが夢から醒める時間になってしまった様だ。
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